16日目:外国語で書くこと
なかなか書くモードに至らない。。。
ブログなら書けるのに、というのは割と口語体であることによるものが大きいように思うので、リハビリ第2弾としてレポートのような固い文章を書いてみたい。
こんな口調であっても、結局中身は同じ薄い軽い残念なものなのであるが。
さて、外国語でものを書くことは、私のような「書けない人間」にとってどのようなものなのだろうか。
外国語で書くことは、より難しいことであるように思えるが、実のところ「書けない人間」にとっては、外国語で書くことの方が近道になるかもしれない。
慣れない言葉で書くからこそ、余計な内容を書かず、必要な情報を整理することができ、より良い文章作成ができる可能性がある。
語学力の問題はこの際無視しよう。中学生の英語とか、第2外国語のドイツ語くらいで良い。
最終的に英語で公的な発信をしなければならないものは、ある程度文章量があるなら必ず、そうでなくても業務上の資金が割ければ多くの場合に、ネイティブチェックを通すのだから。
最低限の意味とロジックの通るように書くために、それほど多くの文法力は必要ない。適切な接続詞と、最も重要なSVだけが残っていく文章は、実は内容を考えすぎ・盛り込みすぎになっていた文よりもより良いものが書けるかもしれない。
Google翻訳を使うという手もある。これはより広く知らせたい方法だ。
何故ならば、機械にも訳せるような日本語というのは、シンプルで我々「書けない人間」が最初の目標にすべき文章だからだ。
例えばこの文章中の「最終的に〜」のような文章は機械翻訳で誤訳されやすい。複文構造になっているからだ。
読み手を想像するようにと、何度言われても出来ない我々「書けない人間」は、もはや人間相手ではなく、意味を解しない機械相手にこそ書くべきなのである。
自分の書かなくてはいけない内容をどうにかシンプルにまとめていくことができたなら、Googleのある程度のレベルの翻訳に文章を投げる。
そして返される機械翻訳をなけなしの外国語知識で整理し直すとき、よりわかりやすい文章のための校正練習をすることができるのである。
書けない人間は、外国語で書くことを一つの修行と戦略として試してみるべきだ。
もちろん何万字という文章量が必要なときには労苦が果てし無いものになってしまうが、A4一桁のページ数であれば、外国語で書くという練習も必要なのではないだろうか。
なーんて、最近ちょっと考えていたことを固めに書いてみました。
つまらない内容が、よりつまらなく...悲しいですが読んでる人もいないわけだしいいかなあ。(途中で違う方向行ってるし)
やはり固めに書くほうが、途中で文章直しの発生する率が高いように感じました。戻って消したり、逆接入れる位置を修正したり。
多分、固い書き方にはちゃんとしたルールがあるからだろうと思います。話し言葉で書くときもルールはあるんだろうけど、
でも!いつものこのゆるゆる調で書いていても、以前よりも修正を多くしている気がするので、より文章に敏感になっているかもしれません。
固い言葉で書くって、ある意味(普段使い慣れている言葉ではないという意味で?)外国語なのかもしれませんね。
今日はここまで。